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Japanese sub culture and tech.

  • 2017/01/4
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misc

Photo by Andreas.

その時は、意外とあっさり訪れた。

年末、12月の中旬あたりからずっと実家に居た。父親が亡くなったからだ。2016年の20曲を年内に書けなかったのも、実家に居てデータを引き出せなかったからだったりします。

実は、病気でいわゆる後もってこれだけという死の宣告は受けて居て、ある程度心の準備はできて居た。それが、当初言われて居たタイミングより随分早くなったというのはあるのだけれども。もう長くないかもしれないという連絡を受けたものの、他の人にお願いしづらい大きな仕事を進行して居たので、それが終わるまで実家には戻らずに居た。仕事を終え、その日の深夜に実家に帰り、次の日病院に行き父親に会った。久々に見た父親は、最後に会った時とは別人のように痩せて、生きているのが信じられない姿で、そこにショックを受けた。それでも意識ははっきりして居て、病気で話せなくなって居たのだけれども、限られたジェスチャーなどでコミュニケーションはできた。今年は昇進とかしたので、その話をしたら、すごく喜んでいるようだった。家族が居るところで言うのが照れ臭くて、帰る間際にこっそり残って言ったんだけど、これは言わないと後悔したと思う。

そうした会見をしたその夜にあっさり亡くなってしまった。自分や兄弟がその日偶然連続で病院に訪れたので、思い残すことがないと整理して生きることへの執着を失ったのかもしれない。気持ち一つで終わってしまうぐらい衰弱はして居たんだろう。なんとなく、そういう予感はあった。深夜2時ごろに電話がかかってきたとき、出る前にほぼ確信してしまった。

ただ、亡くなった姿を見ても、いまいち悲しいとかいう感情が驚くほど湧かない自分には戸惑った。まあ、うちの父親には色々苦労させられることが多かったので、そういう意味で正直怒りの感情の蓄積が大きかったのかもしれない。それでも、あまりにも淡々と受け入れてしまうのは、ちょっと自分人間的に大丈夫なのかと思ってしまった。しばらく経てば、また違った感情が湧いてくるのかもしれない。母親は、一緒に父親に苦労させられる経験をしてきたので、正直死んだ時に正気で居られる自信がない。

偶然、自分の直前に同じ部署の同僚も父親が亡くなり、自分たちもこう言う歳になったんだなとしみじみした。早い方ではあると思うけど、70歳過ぎればいつこう言うことになってもおかしくない。この経験をして、死にかたってやつをすごく意識するようになった。当初、病気の話を聞いた時、数年の介護を強いられることになると聞いて居たので、母親が介護疲れで共倒れしないかとても心配だった。結果的には、介護というレベルになってからは、半年弱で、辛かったであろうがなんとか堪えてくれた。こういう時、実家が遠いというのはとても辛い。もう少し、こまめに実家に行くべきだったと思う。介護を手伝うことはできなかったけど、今後はもう少し旅行に連れ出したり、楽しめる機会を作ってあげたいと思う。父親の場合、結果的にはあまり長引かせずに亡くなったと言えると思うけど、この時代医療的に生かすことがかなりできてしまうので、何年も寝たきりで生き続けれてしまうこともできる。うちの父親もそれをできなくはなかったのだけれども、父親自身の希望でいわゆる延命医療は断ることにして居た。だけど、痴呆とか意識がない状態に突然なってしまったら、家族としてはそういう選択はできないだろう。そう考えると、元気なうちに自分の死に方を関係者に宣言して、なんらかの形で明文化しておくべきと思った。周りのための死の準備ということ。これは、若い人間もやっておくべきと思う。事故で突然植物状態になるとか、いくらでも死の可能性はあるから。

とまあ、なんだかまとまらない話になってしまいましたが、死ということに対して考えるきっかけになる年末の出来事でした。


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