現実的な発想と進化
自分の親が子供の頃に発想された未来なら、今ごろ車は自動で走り、街は変なチューブの道になっているはずだった。
昔々の未来の姿を表したコンセプト見ると、いま見ても未来的ですよね。自動運転車、高架中心の道路の最適化、対話するコンピュータ。でも、そんな未来のマイルストーンとして設定されていた21世紀になってみると、確かに色んな物が自動になったりはしたけれど、自動で走る車も実用化はされていないし、高架道路もわずかだし、コンピュータもたどたどしい会話しかしてくれない。
そんな現実を知って、技術の進化のスピード感が分かってしまったせいで、この21世紀を生きる人の未来発想がすごく現実的になってしまっている気がします。
約40年前の時点で商品管理の全自動システムが完成していたことが分かる昔のスーパーマーケットのムービー
これ見ると、40年前から進化あまりしていないと感じてしまう。今のスーパーだってこんなもんですよね。海外だと無人にはなってるけど、まああまり変わらない。品出しまで制御しているとは驚きです。
昔の発想って、こんなのできないでしょ、夢だと、ということを絵にして、それに向けて技術を進化させるというプロセスだった気がします。最近は、未来が見通せすぎるあまり、こんなのできないでしょという発想ではなく、できるマイルストーンを描くようになってしまった気がします。そうしないと、投資的にも失敗してしまいますからね。でも、そうなるとますます技術の進化って遅くなるんじゃないかな。
自分は一応R&D部門にいるけど、やっぱりビジョンとか計画ってのが数年で描かれて、現実的な範囲に落とさないとはなしを聞いてもらえない。でも、企業がロングスパンでモチベーションを維持して、加速し続けるためには、ちょっと飛んだビジョンが必要なんだよね。そんな意味で、いろんなものが見通せる、予測できてしまう世界ってのは、あまりおもしろくないなと最近思ってきてしまった。
さよならビッグデータ。
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