ここのところ行政の遺憾な行動が多く目につく
川崎の駅前。
再開発を前にしてか自転車に対する規制を強めているようだ。
駅前は基本的に手押しで歩けというルールにしようとしているようだ。
それ自体は、まぁ過密状態の中で安全を保つためだったら仕方ない。
車道の一部に自転車レーンも設けている。
あと、駐輪の規制が徹底され監視員を張り付かせている。
まぁ、これも通行をスムーズにするためなら仕方ない。
一部、駐輪場も増設しているようだ。
ただ、これらの措置が「自転車を占め出すこと」を目的にしているようなやりかたなのが非常に遺憾だわ。
占め出すためにやっていることが中途半端。
例えば自転車レーン。
なぜか時間が決まっているのである。
時間外は自動車に開放するのかと思いきや、単にパイロンで封鎖している。
意味が分からない。
更に増設された駐輪場。
公園を破壊して駐輪場にしている。
春にはさくらがきれいに咲く公園をだ、有料駐輪場にしてしまいやがった。
これではさくらを見に入ることもできない。
まったくもって意味が分からない。
タクシーがアホみたいに溜まってる場所とか、駐車場の一部とか他にもいくらでも場所はあるのにだ。
この全くもってスマートさに欠けるのが行政のクオリティなのか。
頭が痛い。
あと、駐輪場の監視員。
必ずじじいなのである。
この若者が職にあぶれているご時世にじじいを使っている。
高度成長期を抜けてきて、まともにやってりゃそれなりの貯金もあり、それなりの年金ももらえるじじいを、老後のやりがいとか老人の労働力の活用とか意味不明な理由で働かせている。
若者たちなんざ今日生きるのだって必死なのにだ。
年金なんてもはや期待できないのにだ。
こういうのどうにかならんものだろうか。
社会の状況を見てスピーディーにやりかたを変更できないのは行政の怠慢だ。
行政の事業仕分けで次世代スパコンの予算削減とか科研の予算削減とかは要するに、未来の子供達の可能性を奪ってじじい達が生き伸びるってことで。
国民生活に影響がない?
それは「現在の」国民生活だろ?
このすきに中国やインドなどに技術で抜かれて、子供達の世代の国民生活には大打撃だ。
これは子供達にツケを払わせようという最低の判断だ。
今の自分達がほんの少し不便することで節約できることだってたくさんあるだろう。
未来の子供達に恥ずべき時代になってしまった。
遺憾だわ。
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